違法のFRB(連邦準備理事会)
1787年9月17日制定の合衆国憲法「第一条 連邦議会」に次の様な項目があります。

第八節 (一)連邦議会は次の権限を有する。合衆国の国債を支払い、共同の防衛および一般の福祉に備えるために、租税、関税、付加金、消費税を賦課徴収すること。ただし、すべての関税、付加金、消費税は、合衆国全土で同一でなければならない。

(二)合衆国の信用において金銭を借り入れること。

(三)諸外国との通商、および各州問ならびにインディアン部族との通商を規定すること。

(四)合衆国全土で同一の帰化の規則および破産に関する法律を定めること。

(五)貨幣を鋳造し、その価値および外国貨幣の価値を定め、また度量衝の標準を定めること。

(六)合衆国の証券および通貨の偽造に関する罰則を定めること。


 この条文から明らかなのは、合衆国の通貨・ドル貨幣を鋳造するのは連邦議会だけである、と定めている事実です(紙幣・銀行券の発行はいずれ法解釈上の問題を引き起こす)。
 しかるに、1913年以降、誰もが知っている1ドル10ドル100ドル等紙幣の発行はFRBの独占状態が続いているのであります。

 われわれの世代は、私的銀行の集合体に過ぎないFRB(ボルカーとグリ−ンスパンはチェース・マンハッタン銀行やJPモルガンの役員上がり)を日銀と同一視し、ドルがそこで作られ供給と回収が行なわれるのが当然だと思い込んでいますが、実は120年以上も連邦議会の権限下にあった国家機能だったのです。

 合衆国の建国自体が自前の貨幣を鋳造するという大きな動機に貫かれていた、それを今のアメリカ国民がどれだけ自覚しているかは分りませんが、「ボストン茶会事件」などよりもイングランド銀行の貨幣支配を逃れる事が独立の重要なポイントであり、米国民はそれによって歴史的意義を果たしたと大いに自讃出来る資格があります。
 
 しかし合衆国の純国産通貨発行の主権は建国後も絶えず脅やかされて来ました、資源が豊富で移民人口は増え続ける国家が自国通貨を供給するノウハウを身に着けたとなれば鬼に金棒、建国時の負債などあっと言う間に完済し旺盛な経済活動が営まれ天井知らずの繁栄を享受するのは目に見えており、米国民だけにそれを独占させるのは、イングランド銀行を支配する金融カーストにとり大きな収益機会を傍観して放棄するに等しいリスクに見えたからです。
 第16代大統領リンカーンは、ニューヨークを拠点に再び財政介入の度を強めていた国際金融カーストに逆らい、大統領権限による法定紙幣(グリーンバック)3億4600万ドルを発行し軍備調達に充てました、12%の金利を要求していたNYの金融屋を蹴ってコストなしのドル紙幣を正当に流通させた事で彼らの利益を大いに収奪したと判断され、暗殺指令がそこで避けられないものになったわけです。
 
 ロンドン=NYの金融コネクションがリンカーンでさえ固執しなかった奴隷制度廃止に躍起となり、100年以上後になってもメディアを通じて奴隷制度の悪行を強調し続けているのは奇怪です、アメリカ国民に不必要な罪悪感を植えつけるだけが目的ではなさそうです。
 『風と共に去りぬ』を読むと南北戦争以前の南部諸州が(黒人達にも)楽園であった様な印象を受けますが、実際それに近い所ではなかったのか、家族的な絆を大事にする自給自足の満ち足りた社会が金融家たちには目障りな真っ先に破壊すべき対象であり、農園焼き討ちを含むあらゆる手段を通じてその破壊は実行されました。
 彼らが家族的奴隷を否定するのは、労働力とは資本によって支配しなければ意味がないと考えているからで、黒人奴隷のように保護し養う責任まで負担するのは全資本主義の浸透に障害となる(賃金労働者という名の「真の奴隷」だけが存在を許される)所以なのであります。

 そして金利とは何かという問題がここで姿を現わします、近世までのヨーロッパでは(イスラム法では現在も)利子は違法であり、神だけが所有する「時間」を横領する犯罪行為と看做されました、その建前の陰で高利貸の名を恣にし暴利を貪っていたのが守銭奴として有名なユダヤ人ですが、彼らは社会的に最も軽蔑されていながら王家や貴族に重用され、暮らし向きは国民大多数を凌駕する豊かさを享受していた、それが大きな反感を買い時折起こった反ユダヤ暴動で略奪・虐殺の被害に遭う羽目になる民族的自得となります。
 ヨーロッパ人はそこで利子というものが富を生み出す事実を目の当たりにしていたので、絶対王政が教会に勝る権力を持つ近世に至って、国家利益を引き出すには不可欠なものとしての金利を公認し歩合を定め、重商主義と名付けられる一連の政策で商業と貿易を最大限に王室が活用出来る体制を作り上げました。
 植民地と本国の関係が、人間や物資の移動・貿易差額だけで成り立っていた時代は、各地の文明や自足経済を破壊するほどの浸透力ではなかった、寧ろそれまでの交易ルートを只乗っ取った形でのアジア圏進出だった訳です。
 貿易と軍事がほぼ一体のものとして機能している以上、より効率的な成果ーーー投入した人員と経費に相応な具体的収穫が見込まれねばならない、それには現地資産をまるごと所有するに勝るものなし、ここで植民地会社がムガールや清などアジア各国に利子付援助を申し出て喜ばせ返済不可能の借金漬けにした後、本国から艦隊を送って軍事介入、土地と国庫収入を抵当に入れ遂には管理権を譲渡させる条約を締結して完了です。

 金利とは砲艦に勝るとも劣らない植民地・傀儡国獲得のための兵器である事がお解りでしょうか。

 金利とは伝統ある文明と自足経済を破壊するために張り巡らされるネットワークなのです。

 清末から民国にかけて20世紀支那社会が大動乱に見舞われる惨事になったその元を質せば、関税収入や鉄道・鉱山を白人の手に譲り渡した欧米列強からの利子付借款に他ならず、諸外国は先を争って贔屓の軍閥に金を融通し自国の利益に奉仕させた、それが当時常識とされる最も有効な手段であった所以です(米英は蒋介石、日本は段祺瑞を後押しした)。
 戦後米ソ対立の中で西側諸国を縛りつけたのは、核ミサイルの力とマーシャルプランという借款であった事実はまだ記憶に新しい(日本に対してはガリオア、エロアなる復興資金が配給された)。

 米国史に話を戻せば、ドルの流通と公定金利を支配する者が将来の世界経済を支配する事を確認した国際金融家たちは、ドル貨幣鋳造・レート制定に関する合衆国憲法を骨抜きにする方策を検討し始め、銀行券としての紙幣発行を特定私立銀行に委譲する法案「国立銀行法」を作成、1863年に息のかかった議員を通じ議会に提出させました。 無論、憲法の精神に忠実な議員たちは真っ向から反対し、議会の主権を侵害する如何なる法案も通さない構えでおりましたが、凄まじい買収工作による切り崩しに遭い、財務長官や最高裁判事まで取り込んだ銀行側は次第に優位を占めて行き、遂に1913年亡国の「連邦準備制度法」が成立、ドルは国際金融コネクションの手に落ちたのです。
 
 因みにその銀行名を挙げて置きます。
    ファースト・ナショナル・バンク   
    ナショナル・シティ・バンク
    ナショナル・バンク・オブ・コマース    以上はニューヨーク連銀の主要株を保有 
    シュローダー銀行
    モルガン・グレンフェル
    ラザール・ブラザーズ
    NMロスチャイルド商会
    ブラウン・シップレイ             以上はロンドンのマーチャント・バンク
 ーーそしてイングランド銀行がこれらを総括しているのです。

 発券銀行によるドル紙幣が憲法に抵触しないためには、この紙幣が通貨・銀行券ではなく無利子の小口国債=連邦準備券という名目を維持させる必要がありました、日本人には(米国民にしても)普通の紙幣として流通しているドル札とは準備金(地金)を持たない小口の国家負債証書に他なりません。
 それを保証するものとしては有利子国債をドル札で購入或いは売却出来る、その交換性一点に掛っているのであります。
 FRB自体は資産地金を100億ドル以上所有しておらず(国債の1/60)、連邦政府の保有する金も8000トン前後であり、時価はドル流通量8000億ドルの1/8に過ぎない、国債で国債を裏書きする多重債務なのかメビウスの輪とも言うべき循環、若しくは己れの足を食う蛸、自分の乗るブランコを自分一人で支えている様な印象を与えてくれます(日銀は保有する地金の実価を基礎に紙幣を発行し各銀行に貸し出している)。

 このような手の込んだ通貨政策を取っているメリットに極めて興味の湧く所です。
 
 FRBはコストなしで信用を供与し抵当設定した国債をドル札(無利子小額国債)に両替して流通させます、国民は納税によってドル札を(赤字国債負担分を併せ)連邦政府に償還する、そして連邦政府は国庫からFRB株主に国債の利子を支払うカラクリなのです。

 利子が全額懐に入る一方(FRBは法人税さえも免除されています)国民には1セントの利子もつかないドル紙幣システム、米国民(のみならず)の正当な資産を略奪する特権銀行株主の寄合、この錬金術導入を決定したのが例によって# 5に登場したエスタブリッシュメントの秘密会議である事は言うまでもありません、連邦準備制度こそ会議の席の中心的題目だったのです。
 
 金利が高ければ高いほど、また財政赤字が続けば続くほどFRBの利益が増大するのは自明の理であり、何故アメリカはFRB議長の指示通り常に高金利政策を採るのか、何故財政赤字を改善する兆しもなく国債を世界中に(日本の保有量は常軌を逸している)垂れ流して省みないのか、何故ドルが果てしなく流出する貿易赤字を放置しているのかがこれで分ります。
 
 「ドル預金」「ドル建て債券」を有難く抱え込んでいる日本人はFRBを縁の下で支える奇特な人達です。

 法案成立の一年後1914年に第一次世界大戦の幕が切って落とされますが、これとて偶然と言うには余りにもタイミングが合い過ぎており、その後の歴史的経過が全てFRBに好結果を齎す(1929年の大恐慌もまたFRBの強化に貢献した)のです。

 FRBの違法な独占と詐取に憤り、財政支出を政府発行紙幣で償却する決定に傾いていた35代大統領ケネディは、金融カーストの縄張を侵害した者に下される掟に従い、ダラスにおいて見せしめのようなやり方で銃殺されました。
 
 アメリカ国民が再び独立を勝ち得るにはまだ長い道のりが必要なのです。





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