と言っても、御維新時のように伽藍や仏像を壊して回る事を提案しているのではなく、わが国民の内部に千年以上も関わって来た仏教的観念を放棄する事の喫緊性を問いたいのであります。
仏教が生まれた環境は言うまでもなくインド、その悲惨極まりない不潔貧困のみでなく世界観自体における歪んだ構造ーーー既にこのサイトで取り上げた輪廻もその一つですし、カルマという牢獄・不可触賎民を作り出したカースト制度・カ−リ−神への人身犠牲等の諸悪によって刻印された宿業です。
釈迦本人とすれば、まさに生き地獄にあるインドの人々を救わんとして自身の教説を編み出したのだが、その種の悪疫に汚染されていなかったわが国には全く無用の教説でした。
それどころか、この宗教に伴って因果因縁・空・虚無・諦念といったインド一流の絶望的観念が入り込み、逆に日本に害を齎したのです。
天皇家の被害妄想につけ込み怨霊を鎮めるとの謳い文句でまず足掛かりを作ったにも関らずその効果はまるでなく、大仏建立後も長屋王のタタリに苦しめられた桓武天皇は遂に奈良を捨て平安京へ遷都する羽目になったのは歴史の語る通りです。
そして飢饉と疫病ばかりの平安時代四百年が、陽性の日本民族さえも仏教の悲観的末法思想に慣れざるを得なくさせてしまったのです。
「業が深い」とか「因果な人間」など人を貶めるときに使う厭な言葉が民衆の中にまで拡がり、 自暴自棄で虚無的、すぐ自殺に走る国民性は、外人に指摘されるまでもなく我々の自覚する所です。
また「刹那」「一期一会」ーーーこの仏教的観念こそは日本人の短絡性「今しかない」と後先顧みずやっつけてしまうのを正当化する動機であります。
「今しかない満鉄爆破」「今しかない柳条溝」「今しかない二・二六」「今しかないパ−ルハ−バー」「今しかない地下鉄サリン」ーーーその結果は知らぬ者もありません。
スト−カ−や痴漢・レイプ犯へのインタビュ−を読むと、「この女性と出会ったのは何か意味があるに違いない」という思い込みの多さに驚きます。そして「今見失ったら二度と会えないかも知れない、後をつけよう」或いは「襲ってやろう」 まさにこれが一期一会の精神と申せましょう。
禅の害は上記の他にも多々ありますが、愚にも着かぬ事を教えるのに「まず雑巾がけから」とか言って勿体振るのが偉いとされる風潮はその一つで、家元制度などもそこから生じたわけです。自分の子供が教えてと言っている一寸の事を、中々教えてやろうとしない意地悪な親をよく見かけます。
長渕剛のような問題ばかり起こす芸能人達が座禅を有難がるのは、己れの悪行に対する禊ぎの意図だけではなさそうです。麻薬と座禅は精神的に同じ効果を生じさせるもので、覚醒剤中毒者にして初めて「仏性」を目の当たりにする所以であります。
「縁」というのも厭な言葉です。
人に「因縁をつける」軽蔑すべき行為もさることながら、結婚が「縁」の働きだと考えている人間が多過ぎます。
縁があるから一緒になった、縁が切れたので別れた(離縁した)」
ーーー誰が主体で何処に責任があるのかも定かではありません。
「己れの愛が結婚を望み、己れの憎しみが別れを選んだ」と何故言えないのか。
正体不明の鵺のごとき「縁」の所為にしておけば、他人だけでなく自分への言い訳も立つという事なのだろう。
卑怯者の便佞術、言わば東洋的無責任体系の要であります。
無理心中も「縁社会」特有の現象です。
己れの子供を一個の人格・個人として考えず、親子の縁の繋がりでしか存在を許さない東洋においては、親子心中が後を絶たないのも当然の帰結なのです。
西洋人なら、在るのは神の絶対意志か人間の自由意志かの二者だけである、と申すでしょう。
このように書くと、自分がキリスト教を強く薦めていると受け取られ兼ねません。
しかしキリスト教の中にはユダヤ人の歪んだ世界観ーーー選民意識・独善性・異教徒排除主義などが少なからず流れ込んでおり(すべては主体性の過剰に収斂する)、これもインド人のそれに劣らぬ弊害を生んで来ました。
自分はいかなる宗教にも与する者ではない事を改めて申上げた上で尚且つ、人間に対する呪いとしての仏教こそが最低・最悪の教えであると言明致します。
一番の問題は外から来る物への我々の抵抗力のなさかも知れない。
特にインド帰りに(藤原新也等)正気でなくなる兆候が多く認められます。
ラジニ−シ、クリシュナムルティ、マハリシ、サイババといった超能力とセットのグル(導師)を真に受けてその熱心なお触れ役を勤める、しかしこいつらは何れも麻原と瓜二つの一卵性三つ子・四つ子であり、麻原のペテンは暴かれたのにインドのカルト教祖は死ぬまでバレる事なく信望者を集める、そんなペテン師天国からはまだまだこの手の類が出て来そうです。
釈迦や弥勒(マイトレ−ヤ)を含む、インドという魑魅魍魎の伏魔殿には御用心。
元ビ−トルズのジョ−ジハリスンもインドにはまった挙句、癌で死にました。
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