時評 (平成17年6月3日−23日)



 6月3日(金)、5月30日の朝日新聞11億円申告漏れに続き、今度は日経新聞社が東京国税局の税務調査で2003年12月までの3年間に8億4000万円の申告漏れを摘発され、過少申告加算税を含め2億7000万円の追徴金を課せられております。 関連会社・団体に出向した者への差額分支給を寄付金として、また新聞販売店への販売促進費を交際費として(何れも経費算入不可と)認定された処分で、日経側は「国税局と見解が相違する部分もあるが」真摯に受け止め国税局の解釈に従い追加納税する、今後も適正な経理・税務処理に努める、と判で押した様に朝日と同じ紋切り型のコメントを出しました。 
 新聞社はこれまでその公共性を配慮してメディアの中でも古くから別格の地位を与えられ、税理・経理上で有利な待遇を受けて来た訳です。 例えば株式公開を行なわない代りに社主・相談役などの幹部株主が有価資産を独占するのを認め、取りも直さずそれが乗っ取りを防ぎ新聞言論における独立性を守るのだという正当化でバックアップする、従って証券取引法の厳しい管轄を免れたまま今日に至ったのであります。
 インターネットやBSに比べ旧式のメディアでありながら社会的プレゼンスは未だ追随を許さず、未処分益の内部留保も配当も使途秘匿も自主申告の裁量内という慣例に護られる新聞社にして報道の公共性を「社会の良心」=錦の御旗に掲げた以上、より厳格・より透明な会計・経理を求められ自らもそれに徹する心掛けが必要条件となる、にも関わらず、重加算税を課せられるほどの確信犯的な組織ぐるみ税金逃れ・経費流用を働いた罪過は計り知れません。
 しかし一般読者は公器である新聞社が10億前後もの余剰金処分に尽力していた事に驚くのではないか、或いは本当に余剰金だったのかと。 株式市場で資金調達が出来ない日刊紙の予算会計は販売収入と広告料収入のみを頼るのが建前ですが、肝心の販売部数は公称の6割程度らしく、販売店に許容量以上の買取りノルマを強制したり(押し紙と言われる)日経なら纏まった部数を「親しい」企業に付け届けたりして収入を維持するのが専らの金策だそうで、その予算繰りに行き詰って子会社当ての委託費の名目で赤字補填をした可能性もあり得るのです。 本社が強請取材と脱税で利益を確保するなら販売店は暴力勧誘とチラシ強要で食い繋いでいるのが新聞屋稼業と言えるでしょう。
 株式を公開して不特定多数の人間が株主になるのは新聞の不党不屈を脅かすと宣うなら、見開き全面を使った大広告スポンサーの影響下に記事を書く懸念の方を真っ先に自覚すべきで、しかも朝日日経を印刷するのが聖教新聞系の印刷会社と来ては不党性・ニュートラルな紙面構成を期待できる筈もありません。
 新聞社は余程の意識を持って自浄化にこれ努め(国会喚問も想定に入れて)、それが無理なら速やかに社会から退場して頂きたいものです。 

 6月6日(月)、新聞社本社が異色なのは、一般企業ならば(商社・サービス業は無論の事、金融・メーカー・ゼネコンも)まず新人が配置される営業部門を販売店や「拡販団」そして広告代理店に丸投げしている事実です。 新聞社社員は全員、放って置いても全国民が新聞を買い、企業は争って広告を載せたがると思い込んでいる、営業自体不要で、寧ろ国民に読ませてやっているのだ、企業がお願いするので広告スペースをわざわざ空けてやっているのだ、欲しければ欲しいと言え、が本音かも知れません。
 新人社員も記者クラブに登録され永田町へ出入りするバッヂを支給されれば、自分を一般国民の手の届かないエリートだと思い上がって仕舞う、社風もその勘違いをより強化する役にしか立たない、言わば新聞社は弊害そのものが伝統となり化石化しているのであります。
 政治や社会は新聞で動かせると言わんばかりの論調、記者会見での傲慢な質問態度、事件に関係する(被害者加害者双方)家族・周辺への土足で踏み込むような取材姿勢、常識に欠けた言動を晒して恥じない有様はすべて奇怪な特権意識が齎したものだと言えるでしょう。
 「アカが書きヤクザが売ってバカが読む」とネットで嘲られる新聞の根本的欠陥こそ、新入社員がまず「新聞の様な安物パンフレット」ーーーひと塊りトイレットペーパー2・3個の交換価値しかない紙屑ーーーを国民の皆様に読んで頂くために営業努力をする、本社社員を家庭や企業へ一軒一軒訪問販売する所から鍛え上げる、それを怠った皺寄せに外なりません(何処の企業もやっている研修段階での販売店出向を新聞社も行なうべきではないか)。
 ヤクザ・前科者など犯罪者のリクルート先である新聞販売店・拡販団に、本来なら新聞社は頭が上がらない筈です、何故なら自分たちの産み出すゴミ屑を法を犯してまで必死に売り捌いてくれるのですから。 新聞記者は決して刑務所に足を向けて寝てはいけない、バチが当たります。

 6月8日(水)、反日暴動を使った政治的圧力(戦前から日常茶飯事の)が無残な失敗に終り、チャイナの正体を世界に晒した愚行を自覚する胡錦濤政権は、形り振り構わず小泉首相と「靖国」への一点集中攻撃を開始致しました。 戦略を自民党分裂工作で取り纏め、小泉以外の曾てチャイナが手なずけた閣僚級政治家と次々に会談設定しては「飴と鞭」で反小泉の言質を引出すことに血道を上げているのであります。
 加藤紘一・野田毅・河野洋平は隠れも無き北京シンパですが、他にも役職経験者の中で田中真紀子・橋本龍太郎・野中広務・(江沢民の銅像を建てて喜んでいる)二階俊博・(人権擁護法案命の)古賀誠辺りが同調するのは目に見えております。
 特に河野衆議院議長(党籍離脱)が海部・宮沢・橋本・村山・森という元首相らと密談し靖国参拝への反対意見を取り付けて小泉首相に再考を促した行為には、立法府の議長の権限を逸脱した憲法違反の疑いさえあり議長の資格自体を問われねばなりません。 にも関わらず新聞論調が河野の美談で塗り固めているのはナンセンスの極みで、例えば行政府側が元最高裁長官を集め(三権分立に同じく違反して)現裁判官の判決を撤回するよう迫った時はマスコミ挙げて一斉に咬みつくのではないか、それほど異常な行為である事実を殊さら有耶無耶にする意図は何でしょうか。
 礼儀知らずな「ドタキャン女」呉儀が河野や野田とは会見していた裏には、今度の汚い工作の指令が何処から出たものであるか大いに示唆する所があり、自民党内チャイナスクールに築いた命令系統がそこらで匂います。
 民主主義国日本の与党政治家たる者が非民主的な独裁政権の幹部共に頭を撫でられに行く構図は納得し兼ねる、特に彼らに投票した選挙民に疑念と悔恨を抱かせるに違いありません。 次の選挙でこれら売国政治家にどのような審判が下されるか、選挙民の良識がしっかり問われる機会となるでしょう。

 6月9日(木)、国連改革というフィルターを通して見れば北京を支配する反日集団の腹の底が透けて来るのがお解りでしょうか。 彼らが最も執着しているのは日本の常任理事国入りの阻止であり、「靖国」はそのための口実でしかありません。 常任理事国の拡大でチャイナの特権的立場が脅かされ、アジアで唯一つの政治大国である事だけに縋って来たプライドを圧し折られるのが悔しくて堪らない様です。 
 本来先進国日本に負けている国際的地位をチャニーズは見ざる聞かざるで、対等の国家としても認めず空威張りが外交の全てという特異な集団ーーー日本から頂いたODAを土足で踏みつける様な論調と言い、途上国へ虱潰しに金をばら撒いて国連改革(日本案)への反対票を取り付ける手段を選ばぬ買収工作と言い(その金も或いはアジア開発銀行経由の日本拠出金ではないのか)、日本の排他支配海域の資源盗掘に依然しがみ付く乞食根性と言い、恩を仇で返して恥じない欠陥人間だけで構成された累犯政権醜態の一部始終を生中継で観賞する機会を日本人は味わっている訳です。 何れ世界はチャイニーズ北京の国連常任理事国入りを容認した過ち、ナチを遙かに凌ぐ国内外諸民族に対する殺戮と暴力を見逃して来た過ちを痛悔し、存在する資格も無き奴隷制国家を処分し解体に掛かるかと思われます。

 6月10日(金)、「カネボウ」今日が東証・大証とも最終売買日となりました、終値は360円(高値400円安値346円)で前日比+19円、6日(月)の200億円に上る第三者割当増資発表以来W連騰で出来高1千万株の大商いです。 経営再建に意欲満々な産業再生機構はカネボウの株式を流動化し、TOB・再上場・株式交換など支援企業に有利な方法を注ぎ込んで企業価値を高め投資家を引き寄せる方針らしい。
 また見逃せないのは「村上ファンド」がカネボウ株を大量に買い付け、半数近くを取得してマネージメントに干渉や注文を付けてくる(乗っ取る意志は無いとしても)懸念が高まった環境の変化で、為にグループ割当増資により議決権比率を上げて防衛する手続きを取らざるを得なくなりました(村上ファンドは西武鉄道株も上場廃止前後に買い漁って大株主になっている)。 
 いずれにせよ、再生機構が支援する企業が再上場を申請した場合、東証及び大証は審査基準を緩和する原則ながら、2006年3月期のカネボウの純利益はゼロ予測で、機構が支援を終了する2007年7月末までに単独で再上場するのは困難としか申上げられません。
 今日の商いで手仕舞いせず逆に情報に釣られて買い増し持ち越した投資家の方は、勿論再上場での含み益を期待した(国が支援する以上必ず再生するのだから)長期戦覚悟の抽選券購入だったと思われます。 村上氏が手を出すなら損失リスクは少ないのではないか、と他力本願型で参加した筋もあるでしょう。
 1年物国債ならいざ知らず、何年先に換金出来るか確と不明な有価証券現物をただ眺めて暮らすのは、矢張り自分には途方も無い時間の無駄・資産凍結としか思えません。

   6月13日(月)、村上氏に追随して上場廃止中のカネボウ株を手元に保有する事で投資家は果たしてどの程度の利益を期待しているのか。 自分が全体として肯定し兼ねる理由は村上氏の投資スタンスが一般投資家のそれと異っているのを感じるからです。
 村上氏の言動を顧るに、株式売買で利鞘を稼ぐビジネスよりも株取得でその企業経営に影響力を行使する動機が前面に出ているのが解ります。 「ニッポン放送株」動向が注目の的となっていた今年3月の一番有利な時期に村上氏は結局フジ・ライブドア何方へも一部を除き持ち株を売りませんでした、飽くまで株主としての影響力を維持する魅力を金銭利益よりも優先させるタイプの人間、値幅取りが最優先の一般投資家とは株売買に臨むモチーフを異にする人間なのだと思われます。
 逆に言えばライブドア堀江氏は、「インターネットとラジオ・テレビを融合し放送メディアに経営参加する」と大風呂敷を広げて置いて最後は買い付けた株と自社関連株をフジ側に高値で買い取らせる、金銭欲だけのグリーンメーラーの正体を暴露した訳であり、テレビ局を所有する魅力と社会への影響力をを多辯に語る男は実は金銭だけを信じる、特に新しくも無いタイプだったのです。
 村上世彰と堀江貴文それぞれがプロジェクトする社会的動機の違いが或る程度明かされたのではないでしょうか。
  投資家の中には、それなら堀江氏に提灯で追随すれば金銭的利益のお零れに預かれる、と改めてその方角にアンテナを立てる方がいるかも知れません。 しかし前回の事件でも判明した通り堀江氏の売買法は時間外TOBで買い付け、相手側の経営者判断(役員決定)で買い取らせるという市場を外れた特別ルールを要求するもので、一般投資家には提灯を付けることも叶わぬ場外乱闘なのです。 結論と致しましては、村上・堀江双方共に投資家が追随するには相応しくないと言わざるを得ません。

 6月14日(火)、再上場時に「カネボウ」が1000円以上の初値を付ける可能性が無いわけではありません、それは記して置かねばならないのですが、首を長くして待った投資家が換金に殺到する寄付きを出現させる恐れが(そのままでは)大きく、官民一体でカネボウを復活させた再生機構と経営陣にしてみれば新規上場で売り物が集まって株価急落するのを極力避けたい筈なのです。
 従って前々日に申しましたTOB・株式交換による少数株主抜き子会社化が再上場前にメイン株主間で成立し、新法人設立や有価証券の額面変更→新株の発行割当が村上氏も同意の下にーーー上場廃止中は証取法の適用を受けないーーー行なわれ、旧株主が証券会社を通して売却する際の障害を設ける(東証はその意味で投資家の味方ではなく、東証のシステム自体を保護する機構なので)事に躊躇しない、株主総会で経営側の情報隠蔽を目の当たりにした者には驚くべからざる、慣例に則した個人投資家切捨てに踏み切る当然の危険性を指摘したいのであります。
 新たに上場した株は廃止前の同名株とは別な銘柄だと考えるべきであり、それがある意味投資家の自己防衛法になるかも知れません。

 6月15日(水)、「流動化」「ビッグバン」が宛かも社会各層のコンセンサスを得たかの様に突き進んだ事実を、例えば年初来の「ライブドアとTOB」問題・「カネボウ再生」問題に於て復たとない標本に挙げる事ができます。
 「株式の流動化」が孕む企業買収M&Aが派手に注目されたり、株式移動・交換による企業間の完全親子化をより簡易な手続きにした独禁法改正(1997年)がこのタイミングで応用されたりと、確実に企業はそれを使いこなしつつある、持ち株会社の爆発的と言っていい程の流行にも商法改正の効果が出て来たと見るべきでしょう。
 資本の流動化は確かに組織分担を柔軟にし企業の競争力を高めるのに貢献しております。 収益性の良い分野に人材と経費をより集中させ、効率の芳しくない分野・支店を切り離す算段も建て易くなりました。 それは「労働市場の流動化」ともリンクして雇用契約の徹底自由化を齎したのです。
  正の影響があるとするなら負の影響も検討する必要があります。
 かつて同格の連結企業であったグループ内に格差が生まれ、同じ管理職でも生涯賃金に大きく差が出る可能性が高まった影響は見逃せないでしょう。 幹部社員でさえ明からさまな差別に直面する会社では、出向や窓際の社員、正規以外の派遣・歩合外交・パート雇用との格差が天文学的数字に上る事態が当然起こって参ります。 紛れもなき階級社会の到来となるのであります。
 株式の流動化はキャピタルゲイン課税無しに企業を買収して子会社化したり、一般株主との細かな折衝を省いて主要株主間で移動や交換を約定し新株を割当てる一切の法的基盤を与えました。 権利としては同格だった大株主がそれによって大きく立場を強化し、一般株主との格差が足元にも及ばぬほどに拡がったのです。
 労働の自由化が実はフリーターやニートだらけの社会を生み階級の世襲固定化に帰結するのと同じく、「株式流動化」は取締役社員の株式寡占と固定を目的とする所以がお解りになったでしょうか。 逆の言い回しを敢えて使用する事で社会への浸透を目論むネオコンのやり口は確信犯的であります。

 6月16日(木)、昨日一言触れた「ネオコン」については『# 14 違法のFRB』続編として改めて取上げる予定でおります。 ネオコンNeoconservatism=新保守主義と訳されますが、伝統を護るよりも社会を勝ち組と負け組に峻別する、或いは海外へ向けて積極的にアメリカ化を押し進める所が「新」という冠詞を付ける謂れかも知れない、またネオコンを共和党/ニューディーラーを民主党と決めつける図式も慎重さに欠けるでしょう、蓋し相当数のニューディーラーたちがブッシュ傘下のネオコンに紛れ込んでいるのですから。
 イギリスの保守党Conservative Partyもそうですが、米英人が「保守」を名乗りながら反社会的な遺伝子を隠し持っているーーー人種・階級間のヘイトを増幅したり、スパイ活動や裏工作を専行させて自国民を犠牲に追いやったり、諸外国のテロ・反体制勢力とコンタクトを取り資金や武器を融通して各国の社会不安を煽り立てたりの前例は枚挙に暇がありません。 表向き拝する宗教は普遍的キリスト教ではなくアングリカンやメソディストという、カルビニズムによって教義を半分以上プログレにされ希薄化したーーーモルモン並みのカルトに近いーーー部族儀礼的宗教なので、首長のエリザベスU世を始め爵位を金で買ったユダヤ上がりの貴族や保守党下院議員に至るまでイエス・キリストの福音など信じてはいない、却って労働党Labour Partyの方に党首ブレア以下本物のキリスト教徒が数多く見られる逆転現象があります。

 6月17日(金)、ヘッジを手掛ける投資顧問会社のディーラー部長が長者番付1位になったニュース辺りからロングショート取引が脚光を浴びているのは筆者を複雑な心境に投げ入れます。 と言うのは昨年来の読者にはお解りの通り、平成16年の4月27日から5月24日まで僅か1ヶ月ながら「富士ソフトABC」と「伊藤忠テクノサイエンス(CTC)」間で鞘取りの実地研修をさせて頂きました(過去ログ倉庫を参照)、その鞘取りこそロングショートの元祖であり、タワー投資顧問の清原氏が騒がれる遙か以前よりプロ相場師が駆使していたツナギとヘッジを組み合わせた建玉法だからです。
 しかもページにて実施した(初級の)玉を増やしたり外したりする技術は、ロングショートの基本的に枚数を変えない単純なポジション取りに比べ、一層難易度の高いーーーショート株が上げてロング株が下げる局面に於て(鞘縮小を想定したポジションで鞘が拡大しても)充分対応し得るーーー方法論に柔軟性を与えたものです。 割安株を買って割高株を売るため最初の銘柄判断だけに一点集中し後は結果待ちのロングショートに対し、この鞘取り法は更に複雑な相対比率曲線に則った流れるような連続売買で、割安や割高の判断に拘わる必要がなく、市場動向にも捉われない(商品相場では値上げも値下げも同じベクトルに換算する)生きた投資術と言えるのです。

 6月21日(火)、東京証券取引所が年内に自ら東証に上場する予定である事を発表しております。 既に(株)大阪証券取引所は2004年3月大証ヘラクレスに自ら上場して「村上ファンド」がその筆頭株主になった訳ですが、案の定村上側からシステム障害と新規上場凍結が発生した件で社長辞任を迫られたり、配当金について大幅増配を請求されるなど対株主交渉の必要性に直面しており、それを参考に今は株主問題対策を練っている場面でしょう。
 金融庁は上場後の(取引所としての)東証の公正保持を疑問視し、企業の上場や売買を審査する自主規制部門を分社化する提案を行ないました。 上場によって獲得する未体験の資金額に東証役員の目も眩み、利益追求一辺倒となって企業への監視を疎かにし、上場基準を厳しく審査出来なくなることを懸念しての勧告です(東証側は一度目の回答で拒否)。 自主規制部門を金融庁の証券取引監視委員会の方で吸収して日本版SECを完成させるのが金融庁側の狙いであり、外資の対日本企業M&Aへのディフェンスを強化し証取法の不備をカバーする重要な課題も頭にある筈です。
 またライブドア堀江氏は、東証が手数料で価格競争に晒されれば安価な電子取引ベンチャーシステムに対して不利となるだろう、その結果ベンチャーが東証の敵対的買収に乗り出すのは時間の問題であり、東証の主な株主である各証券会社は東証を守るポリシーやモラルなど欠片も無いので直ぐに買い付けに応じる、と半ば脅迫的な言辞を吐いております。 この辺りは流石に自らを反面教師に準えた鋭い指摘と言えます。
 (株)大証がまず控え目にヘラクレスから始めたように、東証も一般企業のステップを飛ばして一部に上場するのではなく、JASDAQかマザーズでスタートする方針なら謙譲の美徳として褒められるでしょう。

 6月22日(水)、最近ウチのテナント各店から聞く話では、ブランデーから(ニューボトルを入れる際)焼酎に切り替えるお客が増えているらしい。 『X・O』を入れていた常連さんが『鏡月』へ続々移って仕舞うので売上げに大きく響いているのだそうです。
 確かにボトルキープ8000円のブランデーと4000円の焼酎ではボトル代が半額で済む、客側には経済的な廉価商品をメーカーが打ち出した格好になっております。 しかし飲食店側とすれば一人一人のお客に同じサービスを提供しながら、料金を大幅に値下げしたに等しいと感じるのは無理もありません。  かつては「並の上」だった『X・O』が焼酎ボトルの出現で「特上」に棚上げされた形なのです。
 「地酒」の様な体裁ながら「限りなく薄い蒸留酒」に過ぎない(コストはタダ同然とも噂される)焼酎をメーカーも驚くほどの人気商品に仕立て上げたのは、『ヘネシー』や『ドンペリ』しか口にしない高給取りのマスコミ業界人や電通マンというのは皮肉な話ではありませんか。

 6月23日(木)、何ヶ月も論争の的になっている「靖国」について余所で少し書く機会があり、改めて自分のページに引用したいと思います。
 戦地で亡くなられた方々と日本国民の関係は「感謝と謝罪」という矛盾しているようで極めて自然な心境、「有難う御座いました」の気持ちと「申し訳ありません」の気持ちが綯い交ぜになったものだと言えるのではないでしょうか。どちらを先に口にするかはその性格で違いが出る、小泉首相の場合は感謝の方を前面に表わした訳です。 付け加えれば、感謝のない所に本当の謝罪は無いのであります。
 彼ら戦死者の方では「こちらこそ日本に礼を言いたい」と笑顔で手を振って応える気がするのは、伊勢神宮の御膝元にいる人間の単なる郷土愛だとしても、国民と戦死者はお互いに紛れもなく感謝の気持ちがあると信じられぬ筈がない。
 しかし異常で恥知らずなチャイナコリアたちの「靖国」への雑言罵倒に動揺した与党政治家や財界人の一派から、新たな「戦没者追悼施設造営」案とか「A級戦犯の分祀」案とかが提出されマスコミもそれに飛び付かんばかりで、無責任な評論家の中には「戦死者は個々の墓だけで充分供養出来る」などと慰霊施設自体不要であるかの言辞を吐く者まで現れております。
 どれだけ強調しても足らず絶対忘れてはいけないのは、戦死者の少なからずが子孫を残さなかった若者だという事実です。 核家族化し共同体や親族意識も薄れた戦後に於ては身内の菩提を弔うのも形式的であり、葬式屋でしかない檀家坊主共の片手間兼業の態度がそれに拍車を掛ける、まして相続人を持たない死者は鬼籍界の「負け犬」となるだけです。 無縁墓地を御覧になった事のある方ならお解りの通り、御布施を掠め取れる見込みが無くなったホトケに対するバチ当たり坊主共の待遇は、墓石を乱雑に積み上げ野晒し状態で放置、後は知らん顔という、正に天も許すまじき堕地獄の所業であります。
 身寄り無き、若くして国のため戦死を遂げた者への国民共通の思いを納得させ、良心の憂いを慰める纏った舞台装置は国民感情の上からも必要な国家的行事であり、政党仏教が唱える戒壇や中途半端無味乾燥な妥協的オブジェでは誰一人満足させられないのは明らかです。 
 国民の大多数がイメージする鎮魂とは、やはり維新以来の伝統をを有しあらゆる宗派を受け入れて来た招魂社=靖国神社に尽きるのではないか、多くの夭折した戦死者の魂を安んじるシステムとして靖国に替わるものは無く、地域の氏神とも共通する「神社」への参拝、子供の頃から誰もが親しんだ日本の風物詩でもある鳥居や境内や社殿が、一番しっくり収まる形である事実を特定宗教や革新系団体と言えども認めざるを得ないでしょう。 






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