平成29年1月2日(月)

 新年明けましておめでとうございます。 恒例の歳旦和歌を詠ませていただきます。

 干支(えと)還り去る()君に告ぐ時も(とき)門出はなむけ天めく初こゑ
 (とこ)とはに地の(いしず)は皇(すめら)(みこと) 代よ(かは)りても()退けまじ
 時知らず(にぎは)ふ門に招かれて思はぬ方の(ゑみ)を見る哉


平成28年1月3日(日)

 新年明けましておめでとうございます。 恒例の歳旦和歌を詠ませていただきます。

  打つ羽子の袖ひるがへす晴旦に回さばや猿()も姫だらり
 古巣出づる(ましら)益荒男老いてしも(あだ)吼えなむ主が同胞(はらから)
  
分かつ嶺水脈(みを)の行方も白斑(しらまだら)申は来ぬらし(かのえ)の使ひに
 



平成27年1月6日(火)

 今年も新年の挨拶と和歌を述べさせて戴く時節が、早くも来て仕舞いました。

 群ら鶴の(しで)をあざむく羽交ひこそ匂へ雪明け渡り初めしか
 授けるや年の誉れも俄か獅子(かど)さり敢へず礎石ごと舞ふ
 星の宿来たる光をもろともに改めし(あさ) (いらか)照り映ゆ


平成26年1月12日(月)

 新年明けましておめでとうございます。 昨年は伊勢遷宮の年であり、表紙に引続き祝賀の歌を詠ませて頂きます。

 千早振る神路(かみぢ)類へていすゝ”川かけじこそ波(すそ)洗ひつれ
 誰が寝ぬる夜ごと暇なき宿のうちに年()き返す神社(かみやしろ)かな
 仰ぐ千木(ちぎ)に今さし出づる日を(しろ)みさこそ映え()え伊勢びとも見め


平成25年12月21日(土)

 本年も残す所10日となりました。 

 システム系の問題やリニューアルの作業に手間取ったり、業務多々から来る妨げもあって記事を更新できないまま年末を迎えてしまった事を、またしてもお詫び申上げねばなりません。

 2月より、連載の形で北海道をモチーフにした表紙の和歌を作成して来ました事は、読者の方々も間違いなく気付いておられると存じます。(2月―利尻島) (3月―キタキツネ) (4月―根室本線) (5月―日高・新冠牧場) (6月―千島火山帯・砂金掘り) (7月―北見山地・植物群) (8月―シマフクロウ) (9月―秋鮭) (10月―樋熊) (11月―北あかり) (12月―函館トラピスト修道院)
 ご承知の通り、北海道が正式に国史に組み込まれたのは幕末以降ですので、古典文学の出典あるいは足取りらしきものは、僅かな例外を除きその痕跡を留めず、特に鎌倉時代以前の和歌最盛期には「蝦夷」という異民族を指す言葉を以て白河の関以北を漠然と表現していたに過ぎません。
 特に古典文学を体現する和歌においては「歌枕」としても出羽・陸奥の境界を越えられぬまま――従って「本歌取り」を可能とする先行歌も無く――明治を迎え、石川啄木らの近代短歌へと転換して行く過程において、地名一つ一つが持つ響きやニュアンスが時間による醸練・熟成を経られずに現代に至っており、近代文学的空間としての新参エスニック的(または前衛的)魅力)は捨て難いものの、古典色を志す歌人には題詠の対象として難点があったのは事実です。

 筆者はその時間的歴史的空白を一気に取り戻さんとする分不相応な意気込みを以て、北海道に歌枕を齎し、古典の意匠に相応しい壌土・背景へと昇華させる事を目論んだ次第であります。

      一昔前の日高支庁・様似港の漁師家族を詠める
 親潮のさか巻く様似(さまに)時化の間を炭消しがたみ待てど暮しつ 

      神居古潭にて
 旭映ゆる黄金(こがね)集め来て石狩は神居(かむゐ)ぬ淵か(うづ)すて鉢に

      天北線廃止を詠みて
 すさぶほど天塩(おろし)を差し向へ音威子府(おとゐねっぷ)ゆ黄泉な別れそ

     摩周湖畔を散策しながら
 時し無く湯の香弟子屈(てしかが)去らまうきカムヰヌプリが火ぞ地を吐かむ 


平成25年1月3日(木)

 新年明けましておめでとうございます。 

 長く多忙にかまけてこのページを留守にしており、アクセスして下さる読者の方々には御心配と憤り、或いは歯がゆさ、失望などの思いを抱かせました事を、重ね重ねお詫び申し上げます。
(弁解として挙げられる訳ではありませんが、確かに言えるのは、東日本大震災というな大事件が自分の中で未だ、あらゆる精神的営みの中で尾を引いて離れない――「人間の生きる危うさ」の深刻な共時的経験によって、日常にあるべき多くの行動さえも意識的に妨げられた要因の一つだったという事実です。)

 ともかくも本年は和歌の実作と平行し――「震災歌」も心に浮かぶまま詠じつつ――それにも増して「和歌論」及び「歌人論」を発信することに意を砕いて行く所存でおります(容量オーバー寸前のパソコンを操作しながら)、なので読者の方々には、これまで過分の寛い心で見守って頂いた忍耐心に今一度筆者が甘える許しを与えられますよう、甚だ我儘勝手なお願いではありますが、宜しくお願い致します。

  餅花(もちばな)を結びや初めむ鳥居本みや柱立つ(かど)曇りなき
 光るとも割れぬ御かがみ望月よ白き
路の奥な(こも)りそ
 根引き松飾る軒端にい来かし脇取り除けて君が注連(しめ)ゆふ
 
 暮れて明ける同じ刹那もふた年の禍福(かふく)過ぎ越す春あらたなり
 釜鳴りに根雪遥けき野点かな数奇屋庇を罷る(かしはで)


 最近の筆者は「茶道」に熱を上げております。 昨年11月の表紙より3ヶ月連続で「茶の世界」をテーマに取り上げている所からも、それにお気づきになった読者もおられるでありましょう。

 まず昨年11月の歌を解説させていただくと、「裏おもて」とは御察しの通り「裏千家と表千家」を指しており、「蹲踞(つくば)ひ」はその名の通り、手を洗う際の蹲踞の姿勢から、茶室手前の手水鉢を「つくばひ」と呼んだ習わしに由来します。

 また12月の表紙は有名な「秀吉考案のポータブル黄金の茶室」を背景に、「やつしの美」「侘び茶」「肩衝(かたつき=茶壷の一種)」「にじり口――茶室の入り口を小さく(高さ・幅とも60cmほど)取り、更に這いつくばる様に腰を落とさねば通れない、大名・武士も両刀を外して身分の上下なく振舞う非日常の空間を演出したもの」――といった茶道用語を鏤めた歌であります。

 1月の表紙については説明の要は無いでしょう。 栄西が仏教修行から持ち帰ったインド原産茶の種が最初に根付いた場所は栂尾(とがのを)高山寺の菜園であり、同じ種から宇治一帯に土壌や環境を生かした栽培が広がり、室町将軍家の保護を受けた「宇治七名園」など好条件が重なった結果、銘茶ブランドとして今日に至ったのであります。(最後の句に茶の銘柄を織り込んだのは悪巫山戯が過ぎました。)

 上の和歌では1首目「餅花」が若い読者には難解かも知れません。 画像を見て頂くのが手っ取り早いでしょう。
 
 

 これは、柳の枝などに紅白の小さな餅を吸着させた正月の飾りで、東北地方がオリジナルらしいのですが、最近は京の料亭などにおいて盛んに用いられるようになりました。

 2首目は「お鏡餅」「裏白」という正月の風物名が(例によって)隠れております。

 5首目の「膳(かしはで)」は字から想像されるように「宮中において料理を司る身分」若しくは「食膳そのもの」を意味する、万葉時代以来の歴史ある言葉です。(歌自体は江戸俳諧調ですが)



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