今度生まれて来るときは・・・・
 
「今度生まれて来るときは・・・・」 「もし生まれ変わったら・・・・」 巷でよく耳にするフレーズです。
 出来損ないの人生を早くリセットしたい内心がそこに見え隠れしております。
 本来あるべき自分を夢想しながら、それとかけ離れた現状を認めたくない本音がありありと分る言い草ではありませんか。
 
 そこでインド=チベット渡来の奇妙な世界観が21世紀を迎えた今でもマスコミを中心に氾濫するという次第です。
 言うまでもなく輪廻転生なる歪んだ妄想であります。
 
 今の自分は誰かの生れ変わりだから、死ねば当然また誰かに生れ変わる。
 誰もが誰かの使い古しーー再生品(リサイクル)なのです。
 何でもいいから別の人生をやり直したい者たちには中古品も大歓迎と来ています。
 
 いま生きているこの瞬間でさえ取り返しがつかない現世界において、死んだ人間に何がやり直せると言うのでしょうか。
 
 少しじっくりと冷静に計算してみましょう。
 「俺は豊臣秀吉の生れ変わりだ」と自称する人がこれまで何人か出現しましたが、さすがの秀吉も昭和と平成の二つの時代に、または二人の人間に同時に生れ変わる事は不可能です。
 昭和の生れ変わり誰それが死んだ後、改めて平成の誰々がそれを受け取ることが出来ると考えなければ理屈に合いません。
 ましてインターネットではないのだからアクセスする人全員に生れ変わると言えばインド人もびっくりです。

 私の言う意味がお解りでしょうか。

 地球上の人口は原初一桁、多くても二桁だったと推定されますが、世代を経る度に増加して行きました。
 初代人類がまだ存命中にその増加分はどこからきたのか。
 多分類人猿の総数を考慮に入れろと輪廻信奉者は言い張るでしょう。
 この問題はまた後で取り上げます。
 
 数世紀の間、人口は多少の変動を見せながらもほぼ一定の水準にあったと言われております。
 つまり前の世紀の死人をそのまま持って来れば間に合ったという事です。
 しかし産業革命以後、人口は急カーブで増え始め、20世紀の後半に至ってアジア・アフリカ諸国で大爆発します。
 その分をどこで賄ったのでしょうか。
 過去に死んだ者すべてを動員すればいいと単純な頭なら考えそうです。
 ところが上記の通り、17世紀の人間はその前の誰かで、18世紀は17世紀以前の誰かなのですから、両方から20世紀に飛ぶことは不可能なのです。
 ダライ=ラマは何時の時代も唯一人、過去のダライ=ラマが勢揃いして出てくるのは有り得ません。
 
 そこで輪廻論者が持ち出すのが(予想通り)「輪廻転生は人だけでなく、鳥・獣・虫・魚すべてが相互に生れ変わるのだ」です。
 
 百歩譲ってそれも有りだとしましょう。
 が、そいつらはそいつらで子孫を繁殖させねばならない。
 鳥・獣・魚は増えている品種もいれば絶滅寸前の品種もいますから、ある程度の余裕は計算できるとしても、昆虫類の猛繁殖をどう解釈するか。
 人間が一人野垂れ死にすると何千匹もの蛆が湧くわけですが、中の一匹はその人間だとして残りの何千何百何十九匹は借りて来るしかありません。
 いや、虫なら何千匹でも人間一人で作れる、と言うなら、虫から人間を作るには何千匹もが必要になる。
 人に生れ変わりを提供するどころか、逆に外から分けて貰うのが関の山です。
 となると、21世紀の人口のため、かつて地球上に存在した全生物に総動員をかけねばならない羽目になります。

 「貴方も私も前世は絶滅した恐竜や三葉虫だったのです」
 
 というような馬鹿げたオチを真に受けないためにも、輪廻説は算数上にて破綻している事実を認め、人生とは後にも先にも一回きり、空前にして絶後、この一生だけで自分というものが決まると観念した方が、或いは実りある生涯を送れるような気がします。




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